ベトナムへ続く道

いま一番身近に感じている国は、なぜか、ベトナムです。

わたしが小学生のときに最初に出来た国境を越えた友人がベトナム人でした。
母の友人がベトナム日本人学校教師として赴任しており、
その生徒の女の子とわたしは文通をしていたのです。
相手の子が日本語を習っていたから日本語で。
彼女とは日本語スピーチコンテストでベトナム代表になって、
来日した際に半日一緒に過ごしました。
お互いに学校生活が忙しくなるにつれ、音信不通になってしまいましたが、
いつまでも大切な友人であることにはかわりありません。

高校の友人がいまベトナムで暮らしています。
ベトナムで仕事をしている方と結婚したからです。
その友人が日々暮らしている場所。行ってみたい。
だから「そのうち行くからね!」と言いました。

まだ具体的な日は決まってないけど。
まだうっすらとだけど。
ベトナムに続く道が見えます。

さっき、NHK教育テレビで
「いまなお続く、ベトナム戦争時の枯葉剤被害」
についてのドキュメンタリーを見ました。
衝撃的な内容でした。
うまく要約することはできません。
およそ40年前に戦争の作戦のひとつとして、
撒かれた枯葉剤の影響が、いま生まれている命にも現れている。
想像を絶する現実。
でも、そこで想像を絶やしてはいけません。
なにかのタイミングが少しでも違えば、
わたしは枯葉剤を撒く側の人間だったかもしれないし、
枯葉剤が原因で身体障害をもって生まれてきたかもしれません。
ドキュメンタリーに出てくる誰もが、自分なのかもしれません。
そう、考えたら、
世界に自分と無関係なことなんてないはずです。

世界に自分と無関係なことなんてない。
世界の全ては自分に繋がっている。

うっすらとしていたベトナムへの道。
さっきよりもすこし、はっきりしてきました。